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[Nanami] 小林りんさん(2):いろんな質問を聞いてみました

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皆さんこんにちは! Nanami です。前回ブログ更新してからもう 2 ヶ月もたちました。お約束通りに International School of Asia, Karuizawa (ISAK) の代表理事小林りんさんのインタビューの続きをアップします〜 (前回の小林りんさんのインタビューは こちら !) NHK World で ISAK が取り上げられました (写真: NHK World   より) スミスミは 2013 年の秋に立ち上がったばかりの小さな非公式日本人グループなので、 ISAK を一から立ち上げた小林さんからこれからスミスミはどのように行動すればいいのか聞いてみました。 アドバイス(1) 「重要なポイントは二つあると思っていて、まず私たちはリーマンショックが起こってからお金がなくて学校を作ろうと思っても作れなくなってしまいました。でも、結果的に良かったのはサマースクールをやった事で、実はその当時モヤモヤしていたイメージが仲間同士ぶつかり合って話し合っているうちにぼんやりしていた物が、小さな事をやり始めたことで具体化してきました。ずっと考えていちゃダメだから、何か一歩を踏み出さないと!そこから軌道修正したり、もう一回深堀してみたりとか、というプロセスが大切。」 アドバイス(2) 「それから二つ目はだんだんオペレーションが大きくなって行くこと。ベンチャー界では Early Small Success と言うけど、いきなりバァーっと大きく考えないで小さい事をちょこちょこやりこなしながら自分たちの考えを修正して周りに認めてくれる人を増やす事が大事。やっぱり小さいこと何でも見せることによって共感する人が増えるから、スミスミもできるところからインパクトを出すと活動がだんだん大きくなっていくでしょう。」 確かに! ISAK の授業でもグループディスカッションの重要性がよく強調されていますね。スミスミでも始めた頃良く話し合い中に意見がぶつかり合っていました。ちょうど去年の今頃、私たちが JSAP (Japan Study Abroad Project) として日本人学生に留学という選択肢を広めるぞー、と言う大きなミッションから、今のブログやビデオを

[Hanae] 日本語と英語 − バイリンガルになるまでの過程 −

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みなさんこんにちは!11月に入って一段と寒くなってきましたね。スミス生はThanksgiving基、感謝際の休みまでをウキウキしながらカウントダウンしています。中にはクリスマスまで金曜日があと6回などと数えてる人もいました(笑)。私も実家の料理や猫が恋しいです。 今回は、私のバイリンガルになるまでの過程について書きたいと思います。スミスに来てから、日本人の人たちと接する機会が沢山増え、よく「いつからアメリカにいるの」または「いつまで日本にいたの」と聞かれることが多くなりました。私はその度に、小学校2年生を終えてすぐアメリカに引っ越したことを伝えます。すると殆どの人たちが口を揃えて、「日本語がうまいね」と言ってくれます。お世辞も入っていると思いますが、私の日本語がどうやって伸びたか、そしてどうやって自分をバイリンガルと呼べるまでに至ったかにはいくつか理由があります。 アメリカに越してきた当初、私は親の都合で日本を離れた事がとても不満でした。仲の良かった友達、おいしい日本食、知ってる言葉など自分のアイデンティティーである全てを捨てなくてはならなかったからです。今となっては別に捨てる必要はないと十分思っていますが、8歳の自分はそんな簡単に割り切れる事は出来ませんでした。最初の数年は毎日のように「日本に帰りたい」と、英語をまったく勉強せずに親を困らせていました。そんな私の逃げ道は限られており、日本のテレビばっかり見たり、ネットで日本語のゲームをしたりしていました。意味もわからないのにテレビジャパンでやっていた吹き替え版冬ソナなどを一生懸命見ていたのは今でも覚えてます。おかげで英語は全然上達しない一方、日本語ばかりうまくなっていました。 その中でも、一番私の日本語力に影響を施したのはマンガです。友達の勧めで、月刊少女マンガ「ちゃお」などにはまり、瞬く間に日本語を読むようになりました。マンガなんかで日本語がうまくなるなんて・・・と思う人もいるかもしれませんが、私は毎日のようにマンガを読みふけり、知らないうちにふりがなが無くても漢字が読めるようになったり、単語のレパートリーが増えたりしていました。今でも普通に様々なジャンルのマンガを時間があったら読んでいます。私の場合はマンガでしたが、やはり自分が熱心になっているものの影響力はすごいんだな、と今でも思いま