[Momoha]日本人がアメリカの大学で日本現代文を学んだ結果


ご無沙汰しております。
ノースハンプトンもクリスマスの雰囲気に包まれ、今学期のスミス大学での授業も残すところあと一週間になりました。

一つ前のセメスターまで、理系ゴリゴリの授業ばかり受けていたのを、今学期は(せっかくリベラルアーツの大学に通ってるんですし)少し思考を変えてエンジニアリング以外の学部の授業も受けていました。その一つがModern Japanese Literatureのクラスです。日本でいう現代文ですね。

長らくアメリカの学校に通っていたせいで日本の文学を学んだ経験がなかったので、現代文の知識を補いたかったという目的で受けたのもありますが、一番の理由は、アメリカ人に混じって日本のことを学ぶという環境に興味があったからでした。アメリカの大学で日本の文学はどうやって教えられていて、アメリカの学生はそれをどう受け取るのか。それを自分の目で確かめてみようと思いました。

授業は基本的に、宿題として出された読み物について授業でディスカッションするという構成でした。毎回、教授から歴史的背景や作者についての説明がありましたし、ディスカッションも教授が指揮をとって下さるので、内容は分かりやすかったですし、話し合いがグダグダになる心配もありませんでした。ただ教授が話すことを聞くだけでなく、他の学生がどう感じたかを直に聞くことができたのは貴重でした。

基本的に本を読むのは昔から好きだったので、この授業はとても面白かったです。例えば、夏目漱石の「こころ」は今まで読んだことがなかったのですが、先生とKの関係がこじれていく様や進むべき道を踏み外してしまったKの心痛が痛いほど伝わってきて、すごく読み応えがありました。

でも、同時にショックだったのは、この「こころ」が日本人なら誰しも読んだことがある本だということさえも自分が知らなかったことでした。日本の小学校に通っていた時は本をよく読んでいましたし、日本に帰るたびに新しい本を買い足している自分なら、となんでも知った気でいたのかもしれません。戦後の小説にしたって、小さい頃から原爆についてのお話を読む機会はアメリカ人に比べて多かったはずなのに、新しく読んだり学んだりしたことがいくつもありました。

初めは「アメリカ人に混じって日本のことを学んでみよう」なんて言っていた私ですが、このセメスターを通してわかったことは、私は日本人といえど日本の知識に長けているわけではなく、むしろ周りのアメリカ人と同じだけの知識しか持ち合わせていなかったという事実でした。今考えてみると、どんだけ上から目線なんだよと突っ込みたくなります。気づけば人生の半分をアメリカで過ごしてきたので、自分が完全なる日本人でもアメリカ人でもないことは理解していましたが、アメリカで「I'm Japanese」と自己紹介してきただけあって、日本人という自分のアイデンティティーがこんなにも曖昧で脆いと実感した時は、吐き気がしました。


あと2週間ほどで私はスミスを卒業し、日本の企業に就職します。就活中によくグローバル化とかダイバーシティとかいう言葉を聞きましたが、私が就職するのは日本らしい縦社会が根強い、古くからある日系企業なので、日本人が圧倒的に多い環境で働くことになると思います。スミスでは日本人留学生として見られていたのが、今度はアメリカ帰りの日本人として見られるようになるということはまた心持ちが変わってきますが、アメリカで自分の日本人らしさを見つけようとしてきたように、日本でもアメリカで培った自分のアメリカ人らしさを追求できるように、強く生きていきたいと思います。




おそらくスミスミのブログを書くのはこれで最後になると思います。
今までどうもありがとうございました!

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